コラム

西郷どんと食べ物

鹿児島を代表する破格の偉人・西郷隆盛。
彼は身長約178cm、体重約110kgあったといいます。

そのような西郷どんが好きだった食べ物はなんでしょうか。
西郷どんの義妹の話によると、料理の一品一品に「これはよくできました、おいしゅうございますよ」とあいさつをして食べていたといいます。
また、別の記録では味付けは気にしなかった話や、明治政府高官の職にあっても昼食は「味噌を塗って焼いた大きなおにぎり」だったという話も残っており、質素な食べ物で満足していたようです。
味噌や醤油をつくるのが上手だった、という話も伝わっているので、西郷どんが持参したおにぎりに塗られていたのは、自ら作った味噌だったのかもしれません。

そのような彼が好んだとされるもののひとつが、豚肉。
「豚骨と味噌汁を好まれ、骨をすすりて其の味を賞せられた。」といいます。
古くからの友人・吉井友実が西郷どんにあてた短い手紙が残っていますが、
「ぶたの汁、あつからず又ひえてもいず、好き加減に出来申す(豚汁が、ちょうどいい温度で良い塩梅で出来上がった)」という内容がしたためられています。
「美味しい豚汁ができたから、お越しください」と送れば、
西郷どんがやってくると思っていたからでしょうか。

鰻に関しては、愛犬とともに鰻を食べに行った話や、鰻を食べるお金を手に入れるため、大久保利通や松方正義に自らの書を清王朝(中国)の詩人の作品と偽って売ろうとした話が残っています(2人とも贋作と見抜いて失敗)。
西南戦争の戦場でも鰻料理を食べていたそうです。
江戸時代の鹿児島城下の人々が、水路に入って鰻を捕まえていたという話も残っているので、西郷どんからすると、鰻は「ふるさとの味」というイメージなのかもしれません。
(現在、鰻の養殖日本一は鹿児島県)
このほかにも、ミカンやスイカも好きだったという話が伝わっています。

大家族で育った故か、大勢で食卓を囲むのを好んでいました。
明治時代、政府の中核を担うほどの存在になった時でも若者たちと混じって蕎麦を食べていました。
また客人に出す食事にはこだわっていたようです。奄美から戻ってきた直後のまだ貧しかった時代、客人を鶏鍋でもてなした際には骨を入れず肉ばかりの鍋だったそう。食べやすくするためだったのか、骨で量をごまかさないようにしたのか、西郷どんの気持ちはどちらかわかりませんが、もてなされた人々は彼と楽しく鶏鍋を食べたのでしょう。

西郷どん「食事は三杯位はたべ」、や「食事の量は多量であった」と伝わっており、
食事の量が非常に多かったことが知られています。
その理由としてうかがえる話も伝わっています。

「一日何回茶受けを出しても、決して『いや』とは言はれなかつた。(中略)『折角、自分に持つて來たものを…』と言はれたさうである。」
茶受けの食べ物を何度出しても、断らずに食べる。それは「せっかく、自分に出してくださったものだから」という相手への感謝の気持ちから。

食からも、西郷どんの優しさとおおらかさを垣間見ることができるのです。

岩川 拓夫 IWAKAWA Takuo

岩川 拓夫 IWAKAWA Takuo

1985年鹿児島生まれ。大阪大学大学院修了後、県内各地で学芸員や大学非常勤講師をつとめる。現在、鹿児島讀賣テレビ「鹿児島歴史マスター」。好きな食べ物はプリン。主な著書に『かごしま維新伝心』、『かごしま戦国絵巻』。