西郷隆盛は、文政10年12月7日に誕生しました。
西暦にすると1828年1月23日です。
明治初期まで使われていた暦と、現代の暦の違いの結果、いわば西郷どんの誕生日は「2つ」あります。
2度祝えるって良いですね。
西郷どんが生まれた文政10年は、どのような時代だったでしょうか。
11代将軍德川家斉の治世。
この年に元幕府老中首座をつとめた松平定信に歴史家の頼山陽が『日本外史』という歴史書を献上していますが、そこには家斉の時代について次のように記されています。
「武門天下を平治する。ここに至って、その盛りを極む」
武家が政治を主導するようになり、家斉の時代になってその最盛期になった、という意味です。
安定した政治と「化政文化」で知られる華やかな文化の時代。
一方で、外国船が日本近海に度々接近するようになり、海防を意識しなければならなくなったほか、
幕府の財政再建のため貨幣改鋳が繰り返されていました。
在職期間50年におよんだ家斉の御台所(正室)は25代島津重豪(先々代藩主)の娘・茂姫です。
将軍の外戚となったことから薩摩藩は特別な立場となります。
琉球を経由した交易も積極的におこなわれるようになります。
一方で幕府や諸藩との交際費がかさんだだけでなく、その頃は、先々代藩主・重豪と、先代藩主・斉宣の2人の隠居が江戸で暮らしていたため、彼らの生活費も増していました。
また重豪はシーボルトとの交流を代表するように、学問・文化に造詣が深く、それらの費用もかさみます。
藩の債務は増加し続け、江戸で暮らす薩摩藩士の俸給(給料)支払いが10ヶ月以上止まってしまったこともありました。
そのような中で文政10年には時の藩主・斉興の後見役であった重豪は側用人・高橋甚吾兵衛という人物に財政改革を任せます。彼は大坂の商人の力を借りて債務の整理を目指しますが失敗。
翌年、西郷どんが生まれた直後に改革の責任者として抜擢されたのが有名な調所広郷です。
ちなみに海外に目を移すと、「第九」や「運命」、「英雄」などで知られる作曲家・ベートヴェンがこの年に亡くなり、
イギリスでは現在のマッチ原型が誕生しています。(いずれも西暦では1827年)
文政10年には、西郷どんと同様に幕末維新で活躍した人物が多く生まれています。
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長岡藩家老として戊辰戦争でガトリング砲を駆使して新政府軍と対峙した河井継之助。
土佐藩主となり、隠居後も藩政を牽引し、大政奉還に深く携わった山内容堂。
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シーボルトの娘で日本人女性としてはじめて西洋医学を学んだ楠本イネ。
いずれも文政10年生まれです。
さらには、日米修好通商条約批准のため地球を1周し、後に幕府の近代化を牽引した小栗上野介と、
アメリカに渡り地球を2周して帰ってきた「ジョン万」こと中浜万次郎も文政10年生まれ。
2027年・2028年の歴史ドラマの主人公がともに西郷どんと「同じ年生まれ」です。
天下泰平で華やぐ中、少しずつ幕末の足音が聞こえ始める文政10年。 西郷どんは、同じ年の多彩な歩みを見せた人々とともに新時代を切り拓くため誕生したのです。