近代国家に生まれ変わった日本では、明治時代以降、歴史上の人物を顕彰する目的で銅像が建立されます。明治31年(1898)に上野公園に建てられた西郷隆盛像もそのひとつですが、その最大の特徴は犬を連れた銅像であることです。この銅像の影響もあり、西郷隆盛といえば「犬好きの歴史上の人物」として全国的に知られています。実際、『南洲翁逸話』には、犬にまつわる話が多数収録されており、「南洲翁の愛犬」という項目までたてられています。
奄美大島で生活の時には少なくとも4、5匹の犬を飼っており、猪狩をおこなっていました。沖永良部島での流罪を経て、鹿児島城下に戻る時にも犬を伴っていたようで、口永良部島に立ち寄った時には犬を連れて上陸し、山中まで遊びに行っています。
その後、京都の幕末期の政局の時にも現地で犬を連れていた話が残っていることから、西郷どんにとって犬は、苦難の時も、激務の時も、寄り添っていたパートナーと呼べるのかもしれません。
鰻温泉(指宿市)に赴いた時にはなんと13匹を連れて湯治と狩猟のため長期滞在。およそ1ヶ月にわたる滞在の世話をしてくれた宿の主人に対し、御礼として犬を1匹贈ろうとしましたが、さすがに主人から辞退されました。
西郷どんが犬に様々な食べ物を与えていた話は各地に伝わっています。高城村湯田(薩摩川内市)には、地域の住民に卵を何度も買いに行かせ、それを犬に食べさせたという話が伝わっています。水引村(薩摩川内市)には青年たちと共に犬を連れて赴いた西郷どんは、住民からもらった飲食物のうち茶は青年たちに飲ませ、冷飯は犬に与えたそうです。また伊集院(日置市)の本田家に伝わった話では、西郷どんが本田家を訪れて寿司を食べた際、自らの残りを3匹の犬に食べさせたといいます。鹿児島城下でも伴の者と犬を連れて桜島まで狩りに行く途中、広馬場にあった鰻屋で、伴にも犬にも一人前ずつ鰻を食べさせました。伊作村(日置市)にも、鰻屋で犬に鰻を分けて食べた話が残っており、西郷どんの犬好き、鰻好きの話がこれらの伝説から鮮烈に地元の人々の印象に残っていたことがうかがえます。
狩りで得た獲物は、鍋物などにして食べていたそうですが、時には犬にばかり食べさせてしまい、自分の食べる分が足りなくなったことも。さらには食べさせ過ぎた犬が太ってしまい、狩りで役に立たなくなったこともあったそうです。愛犬家にとっては耳が痛い話かもしれませんね。
西郷は行く先々で素敵な犬に出くわすと、譲ってほしいと懇願することも。敷根村(霧島市)では狩りのために借りた犬をとても気に入り、飼い主が断ろうとするも西郷も引かず、ついに譲り受けたと話が残っています。ちなみにこの後、西郷は飼い主に金十両という大金などを贈ったそうです。小松原(南さつま市)でも父の遺言で絶対に人に譲ってはいけない、とされた名犬・雪を西郷どんが大変気に入り、懇願して譲り受けました。藤川(薩摩川内市)で飼われていたツンも、西郷どんの希望に応じて前の主から譲り受けた愛犬です。
【写真協力:公益社団法人-鹿児島県観光連盟】-682x1024.jpeg)
上野公園の西郷隆盛の銅像の隣にいるのはツンをイメージしたといいますが、西郷どんはツンに限らず数多くの犬を愛し、犬とともに波乱の幕末維新を駆け抜けていったのです。