「ゆきに堪へ 風もいとはず君のため いでゆく人の ふかきこころは」
西郷隆盛の妻イトが詠んだこの和歌は、家族だけのものではない偉大な存在の夫を深く理解し、その背中を黙って送り出す切ない女心がひしひしと伝わってきます。
明治10年2月17日、50年ぶりの大雪の中、西郷は率兵し鹿児島を出立。
この日、幼少の寅太郎(イトとの長男)が見送りに付いて来るのを見つけた西郷は、慈愛に満ちた眼差しで「寅太郎、来たか…」と歩調を合わせてしばらく同行し、「ここまででよか、もう帰れ」と告げ、それでも付いて行こうとする寅太郎を家僕が引き止め、これが父子の最後の別れとなりました。この年の9月24日、西郷は西南戦争でその生涯を閉じます。

寅太郎は後に父との思い出として、父の好物の蕗の薹を採って渡すと、父が「寅太郎がこれをくれたのだ」ととても喜んで台所のイトに持って行き、食したことを語っています。
父親としての西郷の、ほのぼのとした姿が微笑ましく感じられます。
ちなみに西郷は蕗の薹を刻み、ゆがいて酢醤油で食べるのが好きだったと伝えられています。
西郷は普段、子供たちの教育などに口を出すことはありませんでした。
しかし駄々をこねてあまりに母親の言うことを聞かないと、イトの加勢を買って出て、子供たちは父の剣幕に縮み上がったと述べています。
また、西郷家は時間励行で勉強や食事などの時間がきちんと決まっていたといいます。
礼儀正しい西郷らしさが窺えます。
西郷は祖先を大いに尊崇したことも特徴的で、父との墓参を寅太郎、菊次郎(愛加那との長男)ともに語っています。
暇があれば子供たちを連れて必ず墓参に出掛け、自ら草をむしり、水と箒を使って墓所や石碑を綺麗に掃除するのが常でした。
相撲好きの西郷が子供たちの相撲を取るのを見ながらニコニコ笑っている姿や、鞄から綺麗な角細工の櫛を取り出して子供たちの髪を梳る姿など、武の屋敷での父親西郷の穏やかな時間も伝えられています。
西郷は生涯で伊集院スガ、愛加那、岩山イトの3人の妻を娶ります。
貧しい生活の中での離縁、島の女性を伴っての帰藩は許されない藩の掟、西南戦争と、それぞれの理由で別れを迎え、父親としては菊次郎、菊子、寅太郎、午次郎、酉三の5人の子供に恵まれました。
西郷隆盛は先祖や祖父母、父母があってこの世に存在し、兄弟姉妹、叔父や従弟、義弟など親族との強い繋がりの中で支え、支えられ、波瀾万丈な人生を生き抜きました。
その中で妻や子供の存在はきっと温かな陽だまりのように西郷を和ませ、人生に安らぎを与えたことと思われます。
「西郷さん」と親しみをもって呼びたくなる偉人「西郷隆盛」。
家族の団欒を思い浮かべることが出来るのもその要因の一つと言えそうです。